院長 成田宗隆
- 宗隆 成田
- 2021年5月26日
- 読了時間: 6分
更新日:2023年5月16日
自己紹介
生い立ち

私は、昭和51年4月にこの大宮で長男として生まれました。
一人っ子で毎朝、祖父と氷川神社まで散歩に行ったり、お風呂に入ったり、祖母におんぶされ色々な歌を歌ってもらったり、父には休みの日などに遊んでもらったり母にはいつもべったりであまえていたりと家族に沢山の愛情をもらいながら可愛がられ、元気いっぱい、外遊びが大好きで活発な幼少時代を送っていました。
その頃は現在の歯科医院の裏にある一室に住んでおり、祖父や父が働いている診療室の方に よく勝手に遊びにいってしまっていたそうです。
診療室は、祖父や父以外にスタッフや患者様がいて色々私の相手をして遊んでくれたり歯科の器材など興味を引く物が多く、小さい頃の私にとってはかっこうの遊び場でした。

一番憶えているのはアルコールランプが診療台の横に置いてあり火がついていたのを見てそれが面白く、何を思ったのか燃えているアルコールランプを手で消そうと思って触ったらやけどをしてしまい痛かったのと怒られたのとで最悪の思い出として記憶にあります。
歯科医院は痛い所や恐い所と思われがちですが私にとってはとても楽しく面白い場所でした。
そのころから父や祖父の診療している姿や患者様から感謝されている姿を見てかっこいいなと思っていた記憶があります。
小学2年生からサッカーを始め小学生時代は、平日は朝練、土日は試合でほぼ365日サッカーをやっていました。サッカーをやることによって責任感や協調性や相手を思いやる心などチームスポーツを行うことにより生きていく上で大切なことを数多く学びました。

小学校では将来の夢という題で作文を書いた記憶がありますが、その頃からサッカー選手か歯科医師と書いていました。サッカー選手はやはりサッカーをやっていて大好きだったのでサッカー選手になりたいと思っていました。
また歯科医師は祖父や父の姿をいつもみていてかっこいいなと思い、さらに患者様から感謝されている所が人のために役に立つと言うことはすばらしい事だと思い祖父や父のような歯科医師になりたいと思っていました。
実際にサッカーブラジル代表でもあり医師でもあった選手がいたのですがそのような選手になれたらいいなと夢を抱いていました。
中学に行ってもサッカーを続け大宮市の大会では優勝し県大会にも出場した経験もあります。
中学校の歯科検診では父が学校医をしていたので中学時代の3年間の歯科検診は父に診てもらっていました。父にみんなの前で歯を診てもらうというのが少し照れくさくまた不思議な感じでした。
でも、友達等の口の中を悪いところがないか、悪くなりそうなところがないか検診しみんなの健康を守っているんだなと思うとそんな父の姿を見てかっこいいなとも立派だなとも思い、誇らしげに仲の良い友達には私の父だよって自慢した記憶もあります。
この頃から、具体的に将来自分も祖父や父のような立派な歯科医師になりたいと思い始めました。 ただ、小学校の時の夢でもあったサッカー選手にもやはりなれたらなりたいとも思っていてサッカー選手の夢もすてていたわけではありません。
小学校・中学校と地元の学校に通い友達も多くでき今でも色々な友達と遊んだり、 サッカーやフットサルなどをやっています。
高校もサッカー部に入ったのですが中学時代から痛めていた腰のヘルニアが悪化し歩くたびに激痛がはしり、たえず左の腰から下がしびれていた感じでサッカーをやっていくのが厳しくなり退部しました。
それでも、サッカーは好きだったため趣味程度で友達や後輩等とよくやっていました。 今までサッカーばかりで遊ぶとしてもサッカー関係の友達が多かったのですが部活をやめた事によりクラスメートともよく遊ぶようになり高校時代はサッカーだけではなく高校生活そのものを楽しむ事ができたと思います。
また、将来の夢としてサッカーは趣味で行い歯科医師になるという夢1つになり夢に向かい頑張ろうと大学受験のため必死に勉強をしていた記憶があります。

祖父や父に憧れていたので祖父や父と同じ学校に行き勉強したいという思いが強く大学受験も志望校一校のみ
で落ちたら浪人しようと決めていました。
努力のかいもあり大学受験に合格し希望校に進学できることになりました。 大学時代は祖父や父のようになりたいと思い一生懸命に勉強に励んでいました。
勉強や病院実習をすればするほど歯科医師という仕事の大変さに気づき今後自分はやっていけるのだろうかと不安になることも多々ありましたが、それ以上に歯科医師という仕事の魅力や祖父や父の偉大さにも気づかされました。
大学時代に一番大変だったのは卒業試験と国家試験でした。
今までサッカーをやってきたこともあり精神的にも自分なりには鍛えられてきたと思っていたのですが、合格しなければならないというプレッシャーがかなりあり卒業試験と国家試験前は精神的にかなり厳しかった記憶があります。
ですから、卒業試験と国家試験に合格できたときはプレッシャーから開放され精神的に楽になりほっとした気持ちと、これからがんばるぞ!という気持ちでいっぱいでした。
勤務医時代は先輩や同僚にも恵まれ日々患者様にいかに良い医療を提供できるかということを常に考え皆で切磋琢磨し診療を行っていました。
その後父が他界し、父の後を継ぎ歯科医院の院長として仕事をすることになりましたが、そこで歯科医師というのはただ単に良い医療を患者様に提供すればいいというわけではなく、患者様一人ひとり様々な考えを持ち歯科医師サイドでよい医療と考えても患者様にとってはそれが必ずしも良い医療にはなっていないことに気づき患者様一人ひとりの意見を聞きながら患者様自身がどのような診療を希望されるのか患者様一人ひとりにとって良い医療とは何かということを考えながら診療にあたるようになりました。

日々の診療を行っていくにつれ、痛みがあるので来院し、その部分の診療が終わると、それで終わりになってしまう患者様が多く、次に来院されるときは以前の状態よりもさらに悪くなってしまっていてこのままの状態を続けていくと歯がなくなってしまうのではという危機感に襲われました。
その中で『歯科医師というのは痛いから削る、抜く、そんな治療で良いのかと思い、どうすれば患者様の歯を削らずに、抜かずに、一生患者様自身の歯で食事をすることができるのかということを考えるのが役目だ!』と、予防歯科というものの大切さに気づきました。
今はいかに自分の歯の状態がどのようになっているのかを患者様自身に知ってもらい一生自分の歯で食事をするためにはどうしたらよいか等を考えて頂き、極力削らずに、抜かずに、今の状態を維持することができるように患者様をサポートさせて頂ければと考えています。
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